連続講座 原子力

① まえがきと用語――「核廃絶」ではなく「核兵器廃絶」こそ

元京大原子炉講師、香川大学名誉教授 中川益夫

まえがき

2009年4月5日米オバマ大統領のプラハ演説以来、核兵器廃絶の国際世論が高まってきています。核兵器廃絶運動にとって、願っても無い好機到来と言えましょう。
ところで、オバマ演説の要旨を、マスメディアは「核のない世界実現へ」とか、「核廃絶の決意」といった省略形で紹介しているため、一般市民は「核廃絶」の言葉・用語を鵜呑みにして、これを常用・多用する「社会現象」に接するたび、言葉の意味するところと、実際表現している事柄のズレが、私には気になりだしました。
そこで、09年8月原水爆禁止世界大会(長崎)に参加し、第9分科会「原発問題と核兵器廃絶」の助言者を務めた経験と、大阪・石橋9条の会の要請で「核兵器って何?」と題して講演・講習の機会を得た経験をもとに、原子力の軍事利用と平和利用の異同と問題点等につき、本紙上で、納得いただけるよう分りやすく解説させていただくことになりました(但し、原子炉勤務と教育学部に籍を置いた経験に基き、専門的なことをあまりうるさく言わずに、ごく基本的な事柄に限ることにします)。
分かりきったことを今更、などと敬遠せずに、あなたならどう他人に説明できるか、比べてみてくだされば、ありがたいです。
私も含めて、運動している中で、我流で理解して多言(他言)している場面によく出会いますので、個人攻撃や中傷誹謗ではなく、相互に言葉に注意しあって、友と共に前進してゆきたいと願っています。それと言うのは、私達は威圧や暴力ではなく言論で明確な言葉と用語で交流し、行動を共にしてゆきたいからです。
およそ一年にわたって、2ヶ月に一回ずつ原子力の軍事利用(いわゆる核兵器)と平和利用(主として原発)の現状と問題点を取り上げていきます。
用語 「核廃絶」という表現は、何故よくないのか、から始めます。何事でも、多くの人がそうしているから良いとは必ずしも言えません。核とは辞書では、「物事の中心」「果実の種」「細胞核」「原子核」「地殻の中心部分」などの簡略形で、運動仲間の間では、核兵器の省略形で通用するでしょうが、これは誤用語で言葉の乱れの原因、そもそもこれから育っていく子ども達に教育的にも混乱を与える用語です。このことは、私の信念で、異論・反論にはいつでもどこでも受けて立ちます。
最近の例、オバマ大統領のプラハでの演説の訳「核の無い世界」「核廃絶の決意」等は、英文で a World without Nuclear Weapon の翻訳で、原子力(発電)まで否定する nuclear ‐free world を意図的に避けた(Mainichi Weekly 11/21/2009 No.1929記事参照) と言われています。原発にも現状に多々問題はあり「非核」 の用語も多少問題はありますが、「核廃絶」ほど無神経な用語はありません。( 以下、次号)

② 核兵器とは?(レジュメ)

人類は科学・技術の発展の結果として、火力(化学 反応、物が燃えるときに出す酸化のエネルギー)より はるかに大きなエネルギーを取り出せる原理を発見し これを実用化しました。その歴史をたどることは現代 物理学・科学技術の発展史 の解説になるので詳細は省 きますが、悲しいかな平和 利用ではなく、軍事利用優 先の道に逸れてしまいまし た。(右の原爆写真参照)
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Ⅰ 核兵器の原理・構造等&nbsp
* 始めは原子炉(シカゴ・パイル)(リアクター)
* 原子炉と原爆の違い (右 原理図 参照)
* ヒロシマ型原爆 u (円筒型、通称 少年)
* ナガサキ型原爆 Pu (かぼちゃ型 通称デブ)
* 原爆から水爆ヘ ナガサキ型と類似、爆発圧縮型 、芯で核融合
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Ⅱ 核兵器の威力
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* 原爆の威力 初期放射線 (中性子等) 電磁波・熱線 衝撃波・爆風他

* 水爆の威力 右に原爆との 対比を示します。 残留放射線は 半減期の長い 放射性物質から 放出されます。 直接被爆とは別に入市被爆者にも 放射線影響を与えま した。

③ 核兵器の全体系

(まえおき)30年程前、「核兵器体系」という見出しで①戦略核兵器 ②戦術核兵器 ③戦域核兵器 ④指揮・管制・通信 の4項目を掲げた解説がでました(日本科学者会議編『核――知る・考える・調べる』1982年5月合同出版)。しかし、これだけでは核兵器の全体系の部分でしかありません。ここに新たな構想・試案を提示します。

1 核原料物質―採鉱から濃縮等を経て核燃料へ:以下、核原料から製造・開発まで

天然に存在する核原料物質として原子番号92ウラン238(半減期4.47×10の9乗年)と原子番号90トリウム232(他5種)。濃縮(ガス拡散法、ガス遠心分離法、レーザー法その他)等によって核燃料物質、核分裂性物質に加工、核兵器の心臓部に。

2 核兵器の製造、貯蔵―垂直拡散:広島15長崎22㌔トン水爆50メガトンへ

砲身型(例広島)では燃料としてウラン、爆縮型(例長崎)ではウランを燃やしてできるプルトニウムを用いる。水素爆弾は原子爆弾を引き金として重水素と三重水素(d-t反応、例米ビキニ環礁)、重水素とリチュウム(例旧ソ連)の反応による。

3 核兵器の運搬、配備―水平拡散:米ロ英仏中印度パキスタンの他北朝鮮も保有へ

核軍拡競争~核抑止力論に基いて、各国が独自に核兵器を製造、貯蔵してきたが、米国から配備しているNATO加盟国(白耳義、和蘭、独逸、伊太利、土耳古に200発)他イスラエル等、日本(沖縄)のように核兵器密約で持ち込んでいた国もある。

4 核兵器実験――未臨界核実験:将来の核兵器開発に関連しているとの見方も。

大気圏内核実験(1963年以後中止)地下核実験(90年以後中止)等の他、核兵器材料と燃料の劣化(減衰)などの口実で未臨界核実験が行なわれてきた。実験の内容の詳細は未公開だが、目的、規模、結果(成果?)など不詳のままである。

5 核兵器の開発――中性子爆弾、劣化ウラン弾(核爆発物でないが、放射性毒物)

兵器の破壊もさることながら、兵器を運転操作する人員も殺傷する目的で、透過力、殺傷力の強い中性子線の成分の多い核兵器の開発が試みられている。劣化ウラン弾も無差別大量使用することを前提に設計、製造が企てられている点、問題が大きい。

6 核兵器の使用――SDI宇宙戦争まで:

戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative)別名スター・ウオ―ズと呼ばれる計画も、迎撃戦略の名において、実は先制攻撃戦術を多分に含んでいた構想だった。先制使用しないと誓っている国(中国等)、非核国に使用しないという国(米国)等あるが、使用特に先制使用を防止するためにも、NPT2010で核兵器完全廃棄こそ。

7 核兵器の廃絶――核燃料サイクルで平和と軍事利用を厳格に分離はできないか。

核兵器の廃絶は実際可能か、という疑問が真剣に出される。技術的には核兵器から核燃料を抜き去ればよい(銃から弾を抜くように)。同時に政治・外交面から化学・生物兵器禁止の例に倣って、平和共存・国際連帯のもとに人類・生命の生き残りを!!

④ 原子力開発競争の歴史――主として核戦略の変遷

(まえおき)連続講座第二回で、原子力ははじめの一歩を核兵器開発の道へ進んだと述べました。強力な威力を持つダイナマイトが発明され、やがて戦争で殺傷兵器としても使われていったことに似ています。炭鉱・岩石掘削など平和的な用途と紙一重ですが、火薬類は推進用であれ爆破用であれ、軍事・兵器としても使用されてきました。
今回は、主として米ソを中心とする、核戦略体制の経過をたどってみます。

a)前史としてマンハッタン計画や1945年7月16日原爆第1号出現/8月6日ヒロシマ9日ナガサキ 核兵器を軍事・外交政
策の基礎におく核戦略体制の始まり。
1946年1月24日 国連総会決議第一号「原子兵器等の軍備からの廃絶」採択。

b)1947年、米トルーマン大統領、対ソ連封じ込め政策発表。
1949年8月26日ソ連、セミパラチンスクで第1回原爆実験(対ソ封込め不可)
1950年11月30日 米トルーマン大統領、朝鮮での原爆使用ありうると発言。
1952年10月 英、モンテベロ島で原爆実験(ソ連についで、水平拡散)

c)1952年11月1日 米、エニウェトク環礁で水爆実験(原爆を引き金に、重水素と三重水素で/垂直拡散:広島15長崎
22㌔トン水爆約50メガトンへ)
1953年8月12日 ソ連、水爆実験(重水素化リチウムを使用)/58年英もクリスマス島で水爆実験/60年 仏、サハラ
砂漠で原爆実験。
1954年1月12日 米ダレス国務長官、大量報復戦略(ニュールック政策:アイゼンハワー大統領治下)について演説/
1954年3月1日 米、ビキニ環礁で水爆実験。第五福竜丸被災、原水爆禁止署名運動日本全国にひろがる。

d)1961年1月 米、ケネディ大統領、柔軟反応戦略推進を発表/8月13日ベルリンに「壁」ができる/62年10月22日
キューバ危機(世界戦争の危機)

e)1963年8月5日 米英ソ、部分的核実験停止条約(PartialTestBanTreaty)
地下を除く大気圏内・宇宙空間・水中での核爆発実験禁止。以後、地下実験急増。

f)1964年10月16日 中国、原爆実験/67年6月17日 中国、水爆実験。
1965年 米、マクナマラ国防長官(ジョンソン大統領下)確証破壊戦略を発表。

g)1972年 米ソ、第一次戦略兵器削減条約(SALT-I)に調印。79年SALT-Ⅱ。

h)1981年8月9日 米、レーガン大統領、中性子爆弾生産開始決定。
1983年3月23日 米、レーガン大統領、スターウォ―ズ演説。

i)1991年7月 米ソ、第一次戦略兵器削減条約(START-Ⅰ)に調印。1993年1月 米ロSTART-Ⅱ調印(未発効)、
1997年7月 START-Ⅲ枠組み合意。

j)2002年9月 米、ブッシュ・ドクトリン、自衛権の行使としての先制攻撃も。

k)2009年4月5日 米、オバマ大統領「核兵器廃絶に道義的責任」演説。
2010年5月 NPT再検討会議最終文書「核兵器のない世界」へ向け、一定前進。

⑤ 核兵器の開発競争 vs 核兵器廃絶運動

核兵器の開発競争は、水平拡散と垂直拡散の二つの面で展開されてきました。それには、「核抑止力」という「考え方」が開発競争の推進力の根底にあったわけですが、抑止=開発ではなく、逆に核兵器開発の真の抑止=廃絶の考え方と方策にこそ道理が。
歴史を振り返れば、歴史経過の中に「核抑止力論」を脱出・克服できるカギがある。草の根運動の蓄積の上に、未来の展望がみえてきます。
1945年6月26日、米桑港で国連憲章の調印。1946年1月24日国連総会決議第一
号「原子兵器等の軍備からの廃絶」採択。(画期的な内容だが、魂が入っていない?)
1946年日本国憲法、被爆体験を踏まえ戦争の放棄!(武力行使の放棄と戦力不保持)
1950年世界平和擁護大会常任委員会でストックホルムアッピールが発表され、米300、英120、仏1500、伊1700、西独200、東独1704、ソ連11551、中国22375、日本645(全て万人単位。全世界で11月迄に5億人の署名)。同年6月勃発の朝鮮戦争で米国の原爆使用計画(トルーマン大統領)に対し英アトリー首相情勢背景に説得し断念へ。
この頃、米国が日米安保条約、NATO等「軍事同盟」を結び核基地化の地ならしへ。
1954年3月1日のビキニ被災事件きっかけに、日本中に原水爆禁止運動が起こる。
1955年8月、第一回原水爆禁止世界大会(広島)開催。14カ国3国際団体54人の海外代表と2600人の日本代表が参加。同年9月、原水爆禁止署名運動全国協議会と原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が結成される。以後世界大会開催(継続は力なり)
運動の基本として、三つ:核兵器廃絶、核戦争阻止、被爆者援護・連帯を掲げた。
出発点だった3・1ビキニ・デーの取り組み、第4回大会から始まった平和行進、「6・9行動」、被爆者による語り部、原爆写真展など多彩で創造的な運動(いわゆる「草の根運動」)が、地域、職場、学園に活動の輪を広げてゆく(ノーベル賞相当!)
1963年8月部分的核実験停止条約の評価めぐり原水爆禁止運動分裂(原水禁と原水協)
原水協:運動の基本三つを軸に妨害者を排除し、当面一致できる課題で共同行動を!
1975年、神戸市議会が核兵器を積んでいない証明書提示を要請「非核神戸方式」
1977年、NGOが「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポ」開催。
1978年、第一回国連軍縮特別総会(SSD)1982年、第二回SSD日本代表も含めNYで100万人のデモ。1987年12月、米ソ間で中距離ミサイル全廃条約。
1995年 NPT核不拡散条約会議。以後五年ごとに再検討会議開催(保有国との闘い)
1996年7月8日「核兵器の威嚇または使用は国際法と人道法に一般的に違反する」という国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見が発表される。
2002年9月米、ブッシュ・ドクトリン、自衛権の行使としての先制攻撃も(藪から棒)
2009年4月5日米、オバマ大統領「核兵器廃絶に道義的責任」(コペルニクス的転換)
2010年5月NPT再検討会議最終文書「核兵器のない世界」へ向け、一定前進。
2010年8月6日世界大会広島で潘基文国連事務総長「2020年までに核兵器廃絶を」

⑥ 原子力発電の種類と放射線・能の人体への影響

これまでの原子力「軍事利用」から「平和利用」へ移ります。原子力の利用・開発では、軍事利用が先行したのは何故か。いくつか理由がありえますが、爆弾開発の方が簡単で、エネルギーと放射線利用には基礎研究の蓄積と経費が必要だったでしょう。
科学・技術には、「軍事」用と「平和」用の区別はないという立場の人もいますが、その区別ができない、つまり「分からない」(解からない)人が科学・技術に携わること自体が問題で危険だと言いたい(人や政治が使い分ける、というのなら話は別)。
さて、原子炉 nuclear reactorまたは単にpileは、爆弾と違い核分裂連鎖反応を制御しながら持続させることができる装置。1942年12月2日シカゴ大学地下で黒鉛パイルが臨界に達したのが世界最初で、その後、種々開発・改良が進みました。
黒鉛炉:グラファイトを積み重ねた炉心に制御棒を挿入。黒鉛を反射・減速材に兼用。
ガス冷却炉:冷却材にガスを利用する原子炉の総称。高温の蒸気発生を実現できる。改良型ガス冷却炉(AGR) 高温ガス炉(HTR)などがある。
沸騰水型軽水炉(BWR):減速材・冷却材の軽水(浄化した普通の水)を沸騰させ、その蒸気で、じかにタービン・発電機を回す。燃料に(低)濃縮ウランを使う。
加圧水型軽水炉(PWR):軽水を100~150気圧に加圧して熱効率をあげる。一次冷却系とタービンへ送るために蒸気を発生する蒸気発生器と二次冷却系が必要。
転換炉、増殖炉:U238やTh232等の親物質を新しい燃料に転換、増殖させる炉。
重水炉:減速材(核分裂で発生する高速中性子を減速)に重水を使い、冷却も兼ねる。
溶融塩炉:UやThのほかフッ化物の溶融塩は数百度で液体になり、熱を取り出しやすく、燃料の連続処理ができる。核兵器への転用ができにくい利点もある。
以上とは別に原子核の融合反応を利用する核融合炉も原理的には可能で、資源(ウランのように地球上に偏在していない、海水中のリチウムなど利用)の問題などで有利ですが、本体中心部分の受け皿(炉壁材料など)で難点の解決が待たれています。
放射線・能の人体への影響
原子炉の運転には、燃料(燃料になる前の核原料物質と使用済み燃料を含む)の核兵器への転用のほかに定常運転時と事故時その他の放射線影響の問題があります。
放射線の種類によって、α線、β線、γ線、中性子線など放射線(能)による影響は被曝する臓器によってもさまざまですが、被曝を最小限に止めるには、被曝時間の短縮と距離(遮蔽も含め)を長く置くことだとされています。
人体への影響では、例えば原爆症集団訴訟で、「認定基準」が3.5キロ以内で被曝、投下後100時間以内に入市した人、または100時間後2週間以内に1週間以上滞在した人に、対象疾病では、がん、白血病、副甲状腺機能亢進症、白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、肝硬変、慢性肝炎の七つに限定されています。体内に入った放射能の影響(内部被曝)については厚生労働省は未だ公認するにいたっていません。

⑦ 「原子力開発」上での主な事件・事故

ウランに中性子を照射すると核分裂反応がおこることをハーンとシュトラスマンが1938年に発見(1944年ハーン単独でノーベル化学賞受賞)以来、これが原子爆弾(軍事利用目的)や原子炉(主として平和利用目的)の基礎になりました。
その後、約70余年間に発生した主な事件(主として軍事関連:イタリックで表示)や事故(ゴシックで表示)等を年代順に追い、教訓を付記してみます。
1945.7.16 世界初の原爆実験(米国ニューメキシコ・アラモゴードで、塔上爆発)。
マンハッタン計画R.オッペンハイマーの回想「私は世界の死神・破壊者となった」
1945.8.6 原爆投下。広島(リトルボーイ、U235型)8.9長崎(ファットマン、Pu239型)共に米国の無差別大量殺傷兵器。軍事目  標以外に不正義・極悪非人道的。
1951.12 EBR1炉(米国)で100kwの発電実験に成功。54.6.旧ソ連オブニンスク原子力発電所で5000kwの商業用原子力発電  開始。以後50年間全世界で約五百基。
1954.3.1 水爆実験。ビキニ水域で米国が3F型(fission-fusion-fission)日本の第五福竜丸とロンゲラップ島民多数被災(被曝)。日本での原水爆禁止運動の出発点に。
1957.10.8 Pu生産一号炉(英、ウインズケール)黒鉛減速空気冷却方式の炉で、黒鉛を焼きなます作業中、黒鉛が燃え出しヨウ素131など放射性物質が環境に放出。
1957.9.19 最初の地下核実験、米国ネバダで。大気圏内実験の環境影響を回避目的で。
1961.1.3 発電暖房用炉SL‐1(米国)で反応度事故。手動で制御棒を引き抜いたため。
1974.9. 原子力船「むつ」(日)出力上昇試験中に放射線異常値検出(設計ミス等原因)
1979.3.28 スリーマイル島原発事故(二号炉、加圧水型)。二次冷却水ポンプの故障に始まり、運転員の判断・操作ミスなどが重なり、炉心が空焚き状態に。苛酷事故例。 大統領諮問の「ケメニー報告」で、「マインドセット(思い込み)が事故の原因」と。
1981.4. 原電敦賀原発前海域で、異常放射能検出。無断放流が発覚した。
1986.4.25 チェルノブイリ原発事故(四号炉、黒鉛減速軽水冷却チャンネル型炉RBMK-1000型)。電源喪失想定の実験中、 応度事故で原子炉暴走・爆発。史上最大の苛酷事故の代表例となった。原発から半径約600kmまで高濃度に汚染した。
1989.1.6 東電福島第二原発3号機(沸騰水型)で再循環ポンプ破損事故。
1991.2.9 関西電力美浜原発2号機(加圧水型)蒸気発生器細管一本が破断。炉心の水が沸騰し、二次冷却配管圧力逃し弁 ら放射性一次冷却水蒸気が大気中に放出。
1995.12.8 高速増殖原型炉「もんじゅ」(電気出力28万キロワット)二次冷却系ナトリウム漏出・火災事故。2010.8.26 「もんじゅ で炉内中継装置が落下。核燃料サイクル二本柱(アップストリームとダウンストリーム)に日本で重大影響必至。
1999.9.30 東海村臨界事故。JCO東海事業所でウラン溶液の生成作業中、約20時間臨界状態に。作業員3人が大量被曝。 日本の原子力事故で初の直接被曝死者が出た。
2004.8.9 関西電力美浜発電所3号機でタービン建屋内の配管破裂。高温高圧の蒸気が噴出、6人が重軽傷(内一人は16日後に死亡)を負った。原因は循環水中の渦や気泡による減肉。二次冷却水配管だったため、放射能漏れはなかった。
以上の他、水爆搭載機墜落、原子力潜水艦沈没など軍事上の事件事故、重大事故に
は到らなかったが中小の原発事故が多数あると看做されるが割愛しました。

⑧ 核戦争阻止・核兵器廃絶へ向けての基本的前進面

歴史の動きは台風の進路にも似ている。一つの事件・言動で歴史が決定的に左右されることもある。
1946.1.24 国連総会決議第一号 ①平和目的のための基本的科学情報交換を全ての国の間に拡げる
②原子力の利用が平和目的だけに限定されるよう原子力を管理する ③原子兵器その他大量破壊兵器を、各国の軍備から 廃絶する ④査察その他の手段により効果的な保護措置をとる
1949.4.20 第一回世界平和擁護大会でのF.ジョリオ・キュリーの開会の辞。
「我々は各国人民の窮乏を招いている軍事支出の重荷に反対する。大国の兵力の制限、原子力の専ら平和目的に限る利
用と人間の福祉への利用の為の国際管理の確立を要求する」
1950.3.19 平和擁護世界大会委員会「ストックホルム・アピール」署名(全世界5億日本645万余
①私達は人類に対する威嚇と大量殺戮の武器である原子兵器の絶対禁止を要求する
②この禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求する③どんな国であっても、最初に原子兵器を使用する政府は、人類
に対して犯罪行為をおかす者であり、その政府は戦争犯罪人として取り扱う
1954.4.23 日本学術会議第17回総会で「原子力の研究と利用に関し・民主・自主の原則を要求する声明」(いわゆる「自主・
民主・公開三原則」)が採択され、同年10月28日政府に申し入れた。
1954.12.19 原子力基本法「原子力の研究、開発および利用は、平和の目的に限り、民主的な運営の下に、自主的にこれを
行なうものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」
1955.7.9 「ラッセル・アインシュタイン宣言」:私たちは、人類として人類に向かって訴える。 ―あなた方の人間性を心にとどめ、 そして他のことを忘れよ、と。もしそれが出来るならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もし出来ないならば、全面的
な死の危険が前方に横たわっている」
1955.8.6-8 第一回原水爆禁止世界大会(広島)宣言「原水爆被害者の苦しみを目の当たりに見ました。・・・将来もし原子戦
争が起こるならば、世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニになり、私たちの子どもは破滅するでしょう。(中略)「私たちは、世
界のあらゆる国の人々が、その政党、宗派、社会体制の相違をこえて、原水爆禁止の運動をさらに強くすすめることを世界
の人々に訴えます」「けれども、私たちの力は、まだ原水爆を現実に禁止するところまで来ておりません。原子ロケット砲の
持ち込み、原子兵器の貯蔵、基地拡張がすべて原子戦争準備に関連しております。・・・その故に基地反対の闘争は、原水
爆禁止の運動と共に、あいたずさえて闘わなければなりません」
1961.4.12 ユーリー・ガガーリン、ヴォストーク一号で人類史上初の有人宇宙飛行成功。
「地球は青かった」という言葉は、当時の人々に驚きと感動を与えたが、偵察、早期警戒、通信、測地、攻撃・迎撃衛星な
ど、宇宙開発競争の陰に見え隠れする軍拡競争の存在を忘れてはならない。
1975.3.18神戸市議会「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」(他、ニュージーランド等も)
1978.7.1  国連第一回軍縮特別総会最終文書  世界戦争――核戦争――の脅威を取り除くことが、現代のもっとも差し迫っ た緊急な課題である(第18項)・・・・・・核戦争の危険および核兵器使用に対するもっとも効果的な保障は、核軍縮および核兵  器の完全廃棄である(第56項)
1980  エドワード・P・トムソン(英の歴史学者、平和運動家)“Protest and Survive”
1985.2.6 ヒロシマ 1985.2.9 ナガサキ 「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の呼掛け
「核兵器の使用は、人類の生存と全ての文明を破壊します」「核兵器の使用は、不法かつ道義にそむくものであり、人類社
会に対する犯罪です」「人類と核兵器は絶対に共存できません」「核兵器の使用、実験、研究、開発、生産、配備、貯蔵のい
っさいの禁止を、すみやかに実現させましょう」
1996.7  国際司法裁判所「核兵器の威嚇と使用は一般的に国際法違反」との勧告的意見を発表
2009.4.5 オバマ米大統領、プラハでの演説 「核兵器廃絶には米国は同義的責任を負っている」

⑨ 核兵器廃絶・原子力平和利用に逆行するもの

地球上の人類の存亡が懸念される事態に三大要因がある。一つは核兵器の存在であり、二つは地球環境の異常・汚染であり、三つは人口維持・増大に必要な食料・資源・エネルギーの枯渇である。
科学的歴史観(史的唯物論のつもり)によって、歴史をコントロールできるはずの人類が、今なお抵抗に会い難渋しているように見える。歯車を後退・停滞させられている事例を振り返ってみよう。
「二十世紀は戦争の世紀だった」と言われる。昔から戦争はあったが、その原因は宗教闘争であったり、土地収奪戦だったり、富(資源、財宝など)の争奪、あるいは解放独立戦だったといえよう。
ところが二十世紀、とりわけ第一次、第二次世界大戦を通じて、二大陣営の争い、一口に言えば、思想闘争、資本主義体制維持か社会主義体制への変革かを問う闘いが根底となった。
過去、科学上の発見が一大論争を巻き起こした例に例えばコペルニクスによる「地動説」(1543年)、
ダーウィンによる進化論(「種の起源」1859年)などがあって、世紀を越えて尾を引いた。
原子力との関連で言えば、レンチェンによるⅩ線の発見(1895年)、ベックレルによる放射能の発見(1896年)がある。人類の資源・エネルギーに従来の水力、火力(化石燃料)などのほかに放射線・放射能が新たに視野へ入ってきた。この放射線・放射能を原理とする画期的な新エネルギー利用が、「原子力」で、戦争・人殺しのために先に応用され実用化されてしまった。誠に不幸な歴史を辿った。
①1941年12月、米原爆製造「マンハッタン計画」始まる。戦争への「軍・産・学協同」の開始。
1945年8月ヒロシマ、ナガサキでの米原子爆弾の使用。日本の敗戦・終戦となったが、原爆開発(核開発とも。正確には核兵器開発と呼ぶべき)が思想闘争の背景になって、熾烈な競争をあおる結果となっていった。米52.11、ソ連53.8水爆実験と続く。結果は「拡大均衡」。戦争は世界各地に。
人類の[生き残り]がかかっているから、簡単に折り合い、話し合いがつきそうだと思われるが、史実はそう簡単には進まなかった。食うか食われるか、まるで動物同士の争いの様相を展開してきた。
②朝鮮戦争でのトルーマン大統領の「原爆使用もありうる」表明(1950.11)があった(国際的非難出る)。朝鮮戦争以外でも、米国が核兵器使用をほのめかせた事例が数回あると言われている。
③キューバ危機 1962.10キューバへのミサイル持込みを巡る「フルシチョフとケネディ」との対決。
④アフガン戦争の頃から、劣化ウラン弾の使用開始(他に中性子爆弾、核トマホークなど第三世代へ)
⑤米レーガン大統領による全米向け「スターウオ―ズ演説」(1983.3 )Strategic Defense Initiative
⑥東西(二大勢力)の力の均衡?「恐怖の均衡」?核兵器水平拡散・垂直拡散?相互破滅(?MAD)
(否! 核兵器の全世界同時廃絶 こそ。そのためには「政治上、思想上、宗教上の違いを超えた、「核戦争阻止、核兵器廃絶が人類にとって死活問題」という認識で、一致点での共同が必要)。
⑦多くの軍関係や政治家にある核抑止Nuclear Deterrenceの考えは1945年米国のブローディーの提唱以来、核兵器保有を正当化する考え方として採用されてきた。しかし、a.抑止の意思表示が威嚇になる、b.偶発核戦争の危険が高まる、c.核兵器拡散を誘発する など問題が多い。
⑧資本主義対社会主義の政治的思想的対決がある以上は、核戦争阻止、核兵器廃絶は、単なる願望? 理想? 実現不可能の課題では?等の考え。では、B.C.兵器は?また、軍産複合型経済はよいか?
⑨以上の他、最大のネックは、被爆国日本政府の核兵器廃絶へのイニシアチヴの弱さ(国民世論も?)。
被爆の実情を核兵器保有国はもちろん、全世界の人々に知らせる運動が求められているのではないか。
⑩2011年3月巨大地震が起こって、初めて災害に対する備えの必要性を感じた。NHK番組「核戦争後の地球」(1984.8)で、ストックホルム国際平和研究所バーナビ前所長「三十年間政治家が核軍縮のために努力してきたが、結果は失敗だった」と締めくくったことに、貴方は納得してあきらめますか? 起こりうる核戦争に対して、貴方は Protect & survive? それとも Protest & survive!(次回結論)

⑩ 資源エネルギー問題と原子力

これまで原子力の平和利用と軍事利用の両側面を交互に見てきた。ウラン鉱石の採掘から濃縮・加工までは、両者に共通である。その後原子炉か、核爆弾への道へ行くかに分岐点がありそうだ。
人類の平和共存の道を選択するなら、まず何より核兵器廃絶を実行しなければならない。軍事利用としては究極の兵器と言われる原子力潜水艦(原子力で数か月連続潜航でき、核弾頭装備で水中発射が出来る)や原爆・水爆の破壊力にものを言わせた核兵器が主流でも、地球の限られた資源を威力競争や戦争の道具に使うのは人類の自殺行為でしかないだろう。他方、平和利用にも大困難がある。
石炭、石油、天然ガスは地球資源として無限ではない。原子力利用もウラン-プルトニウム系ではPuの核兵器転用が危険だし、資源で有利なリチウム(核融合用Li)やトリウム[溶融塩炉用Th]の利用はまだ開発途上である。再生可能エネルギーとして太陽光・熱や、風力、地熱、バイオ(木材等生物の分解・合成力を利用)や水力利用が見直されてきている。筆者は従来次のように提案してきた。
月:潮汐力 月の引力による潮の満ち干、潮流のほか、波力や海洋温度差利用など。
火:火力 石炭・石油・天然ガス等化石資源の利用。可採埋蔵量も後数十年程度と見積もられている。
水:水力 再生可能エネルギー(揚水可)として利用されてきたが、ダム建設等副次的な問題を伴う。
木:木材・アルコール・メタンガス等のほか生物の力の利用開発。微生物も活躍の余地あり。
金:天然産ウラン・トリウム核燃料の利用。但しウラン-プルトニウム系は核兵器への連動に難。
土:地熱や風力などを含め、再生可能エネルギーとして見直す価値あり。水中立地も試行中。
日:太陽光・熱の利用。再生可能エネルギーの主力候補。プラズマ核融合は未だ基礎研究中。
いずれにしても獲得した大容量の電力を蓄えておく装置/機器の開発が望まれる(ノーベル賞級?)。
以上の選択肢を視野に入れて、それぞれの地域や環境にマッチした規模・方法を追及してゆく「新エネルギー開発研究」がスタートできることが望ましい。競争ではなく、相互批判・相互援助を通じてより安全・安心な計画・成案・実行が出来てゆくことが望まれる。予算はなるべく公費で、組織・人員は公募なり有志を募るなり、縛りのかからない方式が望まれる。
こうした方式は、将来、資源枯渇の壁に直面したとき、縄張り(独占)や押し付け(売りつけ)、更には争奪・戦争などになることなく円満に必要なエネルギーの生産・消費につなげていくための国際的・国内的・地方的の下準備も兼ねる筈である。
さて、2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震とそれに続く大津波が、福島第一原子力発電所の事故を誘発した。天災が直接原因としても、「備えあれば、憂いなし」の条件を整えていなかった人災による過酷事故(原子力事故評価尺度でグレード7のチェルノブイリ事故相当)に進展してしまった。原子力発電、とりわけ軽水炉の現状と将来が危ぶまれる事態になった。
この際、原子力開発の歴史を振り返り、大前提である核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者援護連帯の精神と、原子力平和利用三原則、民主・自主・公開の原則を改めて確認したい。
政治・経済的な横の繋がりでは国連を筆頭に国際会議やサミットなどがおこなわれているし、一定効力を発揮するようになって来た。地球規模の大気汚染・気候変動でもCOPなどで話し合いが持たれ、協議・協同のテーブルが出来てきた。
核兵器問題でNPT再検討会議その他、大衆運動では原水爆禁止世界大会などで定期的な集会がもたれている。資源・エネルギー問題ではどうか。国際的な検討会議があるのか、ないのか。IAEA ?
どんな条件下でも、人類は生き延びる道を見いだして、生き延びてゆかねばならない。草の根の運動の発展が、必要で有効な組織・機構・方法を生み出してゆくであろう。
Necessity is the mother of invention ! [連続講座完]

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