No8 知覧特攻平和会館

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訪問した時は、折悪しく豪雨に見舞われ、会館周辺にある展示物まで見ることができなかった。遠くより軍用機が屋外展示してあったり、これは国威発揚の記念館か、と思って入館。大人500円、午前9時より午後5時までの開館である。
 会館は一階建で入口ロビーにはTVあり、ビデオが上映されていた。その奥の部屋が特攻隊員の“英霊コーナー”として隊員の写真、遺書が展示され、ところどころにモニターからビデオが流されている。その部屋の中央部に「三式戦闘機(飛燕)」が展示されている。さらにその奥の部屋には「四式戦闘機(疾風)」が展示され、「戦史資料展示室」へとつながる。遺書をゆっくり読んでいると、館内放送。会館作成の映画が放映されるとのこと。どんな主張を訴えるのか戦争賛美か?と興味津々で視聴覚室にはいる。30分の映画。
その主張は、特攻隊員の心情を中心に描かれ、彼らが残した遺書を紹介。なんと遺書の大半が母親に対する慈愛、感謝であることを指摘。現代の諸課題のなかにある家族愛の大切さ、それが平和の原点であることを訴える内容のものであった。ちょっとほっとするかわりに、なぜ父親は出てこないのか、と疑問をなげかける。
そういえば、平和運動といえば、母親運動か、なんとなく納得。
 視聴覚室をあとにすると、また目の前に「震洋艇展示」・「隼戦闘機展示」さらに奥に「零式戦闘機展示」が連続。かつてプラモデルなどで見たことのある戦闘機が目の前に繰り広げられている。

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この知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期(会館の説明文には戦時下の大東亜戦争と記載)の沖縄戦で、人類史上類をない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録など貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するもの、として設置された。
知覧には、昭和16年に開校した陸軍飛行学校知覧分教所があり、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練をしていたところであった。戦況が悪化した昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となった。この会館の場所は、その出撃基地の跡地につくられたものである。
 沖縄戦で特攻戦死した若者1036名であった。その沖縄は今も米軍に占拠され、オスプレイの配備など強行されようとしている。“特攻隊員”思いは未だ顧みられず、である。
(事務局北野)

所在地
〒897-0302鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地 
電話番号:0993-83-2525

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