原発見聞記シリーズ 原発ゼロをめざして

浜岡原子力館

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浜岡原発実物大模型
未だ“安全神話”の原発展示
~全国唯一の原寸大の原子炉が見れる「浜岡原子力館」視察報告~

 2011年夏、静岡県の浜岡原子力発電所にある「浜岡原子力館」を見学した。この種の施設は原子力発電所のあるところに必ず併設されている「原子力発電の安全性」をPRするためのものである。従って今度の福島第一原子力発電の事故後、地震と津波に対する対策を強化する旨のPRもきちんと忘れずに行われている。浜岡のそれも同じである。

 この「原子力館」は「実物大の原子炉模型や鉄筋コンクリート模型、中央制御盤、燃料模型などを実際のスケールや構造などわかりやすくご紹介しています」とPRしてある。原発事故後と夏休みということもあってか、多くの人が訪れていた。こどもを連れて来ても充分楽しめる工夫がされていて、食堂や休憩所もあるちょっとしたテーマパークの様相だ。 館内には映像や多くのパネルで原子力発電のしくみ、放射線防護、地震対策など「安全」を売り物にした解説などが山盛りで示され「なるほど」と思わせる。「震源域の上にある発電所」ということで「停止」を余儀なくされたものの「安全上の新たな対策に取り組んでいます」と再稼働を視野に入れた解説を映像やパネルで強調している。原子炉圧力容器の実物大模型は20m以上の大きなもので、格納容器も含めるととてつもない大きなもので、その横に模型の下から上まで見れる「シースルーエレベーター」があり、それに乗ると大きな構造物であることがわかる。格納容器を囲んでいる厚い鉄板(鋼製)の外に厚さ2mものコンクリート壁があり、「いかに安全か」が強調されているが、福島の発電所でこのコンクリートの建屋が吹っ飛んだことを考えると相当の大事故であったことが実感できる。

 核分裂反応をしている限り、一旦事故があり放射能の被害があれば取り返しのつかないことになることが明白になったが、そのことの反省もなく「安全対策を一層高めます」との説明にはあきれる他はない。福島の事故究明も収束もない現在、再稼働をもくろむ原子力利益共同体の動きを止めねばならないと痛感した。(Y)

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浜岡原子力発電所は、静岡市の南西約50km、浜松からは東へ約50kmの静岡県御前崎市佐倉に位置し、敷地の面積は約160万平方メートルです。お茶畑がつらなる牧之原台地を背後に遠州灘に面した平坦な海岸地帯にあります。
浜岡原子力発電所HPより

玄海原子力発電所玄海エネルギーパーク

玄海原発と風力発電
玄海原子炉 九州電力の原子力発電所は、運転開始1984年の薩摩川内原発より10年早く運転開始した玄海原発は、佐賀県の東松浦半島の西部に位置する玄海町にある。その東部には、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の後方支援基地になった名護屋城跡がある。レンターカーを借りて見学した。(唐津からバスで40分)玄海原発前には、厳重な警備体制がしかれていた。その横にオープンな「玄海エネルギーパーク」が広大な敷地のなかに立っていた。2000年に設立されて、「玄海PRセンター」、「サイエンス館」を中心に鑑賞用温室や広場などが隣接している。 「玄海PRセンター」に入ると受付があり、見学ガイド係が案内してくれる。通常は70分程度必要なのだが、都合により15分でお願いしたら快く引き受けてくれた。
 一番のPRは、全周型実物大原子炉模型が「サイエンス館」の真ん中に設置されており、それを四階フロアからみながら下のフロアに降りながらの説明であった。その説明は、福島原発事故を意識した説明になっていた。とくに玄海原発は、「加圧水型原子炉」で、福島の「沸騰水型原子炉」のような放射性物質をタービン建屋を遮蔽する必要がなく、一次冷却系に閉じ込めることができるので汚染されにくいことをやたら強調していた。また、過去の原発事故の展示コーナーももうけて、同じような説明を繰り返されていた。見学者の質問がその点に集中されているのであろうと推測できるものであった。
 もう一点、強調していたのは、日本初の「プルサーマル発電」を実施してきたとのこと。使用済核燃料の管理は数万年単位だが、プルサーマル発電にすると長期保管を大幅に削減できることを説明していた。現在は、四号機まであるがすべて休止しており、九州電力は安全対策を万全にして再稼働にむけて努力しています、と最後に案内係はにこやかに説明していたのが、印象的であった。 玄海の海を見渡すと原発の横に風力発電が林立していた。案内係に聞くと民間企業が風力発電のために設置したそうである。過去から未来への情景を垣間見た思いをして、名護屋城跡に向かった。*玄海原発及びエネルギーパークの入場料は無料です。(K)

薩摩川内原子力発電所展示館
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カラカラ天気続きの大阪から新幹線四時間で薩摩川内駅につく。バス、タクシーは利用せず第三セクターの鉄道に乗り換え、草道駅から炎天下を約一時間歩くと突然猛烈なスコールに出くわす、さすが南国と感心。目の前に二基の原発が見えてきた。厳重な警戒と鉄索を横に原発を見下ろせる位置に作られた原子力展示館に入る。 パンフレットによれば、それぞれ「89万キロワット出力の加圧水型(PWR)」である。燃料は大阪の原子燃料工業熊取事業所で作られたものだ。展示されている内容や説明は、原発の仕組みや原理、安全対策などで、各地にある原発資料館とも共通のものだが、原子炉圧力容器、格納容器鋼板、内径79センチ・肉厚8センチの一時冷却水管が原寸大で展示されているところにこの展示館の特徴がある。驚いたのは地下300m以下の深度の安定した岩盤に使用済み核燃料を貯蔵する、という説明だ。設置場所は不明という。

 帰路はタクシーで川内駅へ。運転手に聞けば、住民の対応は二分されているというが、「福島事故は遠くの出来事」という雰囲気。しかし、幹線道路の一方に原子力推進の大看板、反対側にそれに負けない大きさの原発反対のスローガンの看板があり、原発反対勢力の心意気を感じた。

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