No9 シンガポール・「THE BATTLE BOX」、「シロソ砦」
シンガポールといえば、年間5000万人の観光客が訪れる一大観光地である。その中で平和戦争博物館に訪問する人は、とくに日本人観光客はほとんどいない。
シンガポールには、市内中心部のフォート・カニング・パーク内にある「THE BATTLE BOX」とセントーサ島内にある「シロソ砦」、そしてチャンギ空港近くにある「チャンギ刑務所博物館」の三か所にそれがある。今回訪問したのは、前記二か所である。展示内容は、1941年12月8日から始まったアジア・太平洋戦争から1942年2月15日、英国軍が日本軍に降伏した時を頂点に日本の敗戦までである。
まずは、英国軍が降伏を決断した最後の司令部、「THE BATTLE BOX」を紹介する。バトル・ボックスは、フォート・カニング・パークの小高い丘の地下九メートルに設置された掩蔽壕(防空壕)である。それは第二次世界大戦中、英国のマレー半島を支配する総司令部があったところで、1941年2月15日、パーシバル将軍が日本軍に降伏するという重大な決断をした場所である。その中には、歴史的な決断をする数時間を体験するような地下会議(精巧な蝋人形)などが展示されており、日本語も含めて数か国の言語で説明紹介されている。このバトル・ボックスは、現在、唯一の戦争博物館として修復されており、シンガポールの中心部にあり、交通の便もよく一度訪れてみる価値がある。(最寄駅はMRTシティホーロ駅徒歩10分)
次に、セントーサ島にある、「シロソ砦」を紹介する。
セントーサ島はよく知られているレジャーランドでユニバーサル・シンポールをはじめ、マリンスポーツなど多くの観光客が一日中、楽しめるようになっている。その島の最西端にあるのが「シソロ砦」で、その周辺には大砲が展示されてあったり、戦争中の砲台の遺跡がある。その中心部に「シロソ砦博物館」があり、その中の展示にアジアの人々の認識をうかがわせるものがあった。それは、第二次世界大戦の終結のコーナーである。写真をみていただければ、一目瞭然である。広島・長崎への原爆投下が終戦をもたらせたものとして、大きく展示されている。その悲惨さは、一部、広島の被災を写し出した有名な松重美人氏の写真でかろうじてわかるが、原爆投下の批判は一切表現されていなかった。
日本原水協の何年にもわたる国際遊説団の活動の重要性をあらためて感じた場面であった。展示には、日本語による解説もあるが、日本人は誰ひとりみることがなかった。
最後に、博物館ではないが、市内のメインストリートにある「戦争記念公園」にある「日本占領時期死難人民記念碑」を紹介する。写真をみてもわかるように、どこからでも見れる高さの慰霊碑である。
日本軍が1941年12月以降、翌年の2月の英国軍が降伏し、日本軍による占領がはじまって、中国人を中心に約2万人余の人々が虐殺された。この歴史的事件については、今年の大学入試センター試験の「日本史」で出題されるほど、著名なことである。その犠牲者を慰めるために、シンガポール政府と日本政府によって、1967年に建立された慰霊塔である。4本の柱はシンガポールを支える中国人、マレー人、インド人、ユーラシアンを表している。一大観光地にある戦争博物館を訪れて改めて平和の尊さを噛み締めることとなった。(MRTシティホーロ駅・徒歩3分)