第3回戦争の傷あと銘板めぐり&清掃ツアー

第3回戦争の傷あと銘板めぐり&清掃ツアー

  第3回ツアーのコース
大阪警備府軍需部安威倉庫跡地(茨木市桑原)→タチソ地下壕跡(高槻市弥生が丘町)

大阪警備府軍需部安威倉庫跡地

kuwanohara.jpg 大阪警備府軍需部安威倉庫跡地へは、阪急茨木市駅前からバスで、約20分、桑原橋で下車し、 銘板のあるところまで、無人の野菜販売所などを覗きながら歩きました。銘板の前で、中川代表の挨拶と参加者の自己紹介の後、長尾常任世話人の説明を聞き、銘板を清掃、少し歩くと、生い茂っている木の間に地下トンネルの入り口らしきものを見つけ、一同大喜び。

soukoato.jpg ここには、被服、下着、航空被服、米、乾パン、缶詰などが大量に保管されていたとする記述が残っています。安威川を眺めながらバス停まで移動、バスを待つ間、往路に覗いた無人野菜販売所で新鮮で安い野菜を購入する人もいました。

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タチソ地下壕跡

tachiso_meiban.jpg その後、高槻市駅から市営バスでタチソの銘板前に到着しました。高槻市会議員中村玲子さんの説明を受けて、ここでも清掃。この銘板前には、お米や塩、お金などが供えられて周辺の人たちに大切にされている様子がうかがえました。ここは川崎航空機明石工場の一部が移され、実際に陸軍三式戦闘機「飛燕」のエンジンを生産していました。
tachiso_meiban2.png 大阪府内12か所ある銘板の中でも「強制連行された朝鮮人」の文言が書かれてあるのは、第1回で訪れた「生玉公園地下壕跡」及び「大阪城公園内に残る戦争の傷あと銘板」と、今回訪れた2カ所の計4か所です。右翼の攻撃の的になっていることもあり、こうした記述が削られるのではないかとの危惧や保存運動の必要が語られました。

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