真田山旧陸軍墓地をたずねて
~第8回戦跡ウォーク第2シリーズ
11 月20 日(土) 午後 1時30分集合で、「真田山陸軍墓地と6月空襲の跡」の第8回戦跡ウォークを開催しました。
●「戦争の傷あとめぐり第2シリーズ」
●『大阪 戦争モノ語り~街かどの「跡」をたずねて』著者森田敏彦さんのガイドで訪れる
●「真田山陸軍墓地と6月空襲の跡、日露戦争記念碑」など
わが最初に設けられた陸軍墓地が大阪市内玉造に昔の姿をほぼとどめて静かに眠っています。そこに眠っている数多くの墓碑は、私たちに戦争とは何だったのかと問いかけてきます。NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会の吉岡武氏の丁寧な説明と墓地内の墓標の案内をしていただきました。
真田山陸軍墓地の成り立ちは、明治10年西南戦争で傷つき同地に開設された陸軍臨時病院で死亡者された兵士を埋葬したとこからスタートします。日清戦争では中国(清国)兵捕虜を埋葬、第一次世界大戦で敵国のドイツ兵俘虜の病死者も埋葬、日露戦後争戦病死者の合奏墓碑を階級別に4基建立します。死亡後も階級差を明示します。
1945年6月1日には米軍の空襲で真田山陸軍墓地も被災しました。同墓地に隣接する三光神社に残る方柱の鳥居はその傷跡です。1945年8月15日終戦の日に大阪憲兵隊は捕虜となっていた米兵5名をこの地で殺害し埋めるといった悲しい歴史の場でもあります。普段は閉じられている納骨堂の内部まで案内され、貴重な体験をしました。小学生を含めて17名の参加でした。