NO.13 真宗大谷派僧侶 日野範之
倶会一処(くえいっしょ)
大阪宗教者9条ネットワーク
真宗大谷派僧侶 日 野 範 之
私は毎年秋、広島市のお寺の彼岸法会にお話しに行くご縁があります。市内にある墓石の正面にはたいてい「倶会一処」と刻まれてあることに気付きました。
倶会一処は佛説阿弥陀経にある一句で、一処(浄土)で倶(とも)に会う」という意。この言葉を掲げるのは、亡くなった肉親、ことに原爆で亡くなった者を悼み、常に俱にあるという意がこもっています。墓の前で手を合わすとき、私はそのことに胸を熱くします。
私の連れ合いが若い頃、被爆者団体協議会(東京)に関わっていたので、私も触発を受けて学ぶことが多い。私にとってヒロシマ被爆者の真実(まみ)井(い)房子さんとの出会いは大きかった。この人は、次のように語っていました。
《…私に昭和四十七年に孫が生まれたときに、看護婦さんが「かわいいかわいい嬢ちゃんですよ」とおっしゃった。私は自分の子どもに女の子はおらず、兄弟も男の兄弟ばかり。〔…私は被爆のとき〕逃げる途中で、私の脚に取りすがった子どもを蹴飛ばして逃げた。私が蹴飛ばした子がこの子に生まれ変わってきたのではないか、そう思うようになった。私の蹴飛ばした子が女の子であって、この子が私の孫になって来てくれた》
被爆の惨状のなかで自分が蹴飛ばした子のことを、胸にずっと抱いてきたのが真実井さんの戦後でした。倶会一処――被爆者の心の奥底にあるものを良く知らせてくれた証言で、私はいつも胸の底に収めています。
十五年戦争中、日本佛教界は例外なく戦争加担したという慙愧の歴史を持ちました。
オッペンハイマー博士が第二次世界大戦中、ヒトラーとの戦いのために造り出した〝核″、それは人類とは決して相容れない毒でした。アジア太平洋戦争の加害国であり、かつ被爆国である日本――その政府が世界に対して果たすべき歴史的な役割は「核兵器禁止条約」への署名参画です。