新シリーズ

宗教者と非核・平和

NO8

宗教者と非核平和
天理教 平山榮子
平山榮子さん.jpg 同郷の吉田松陰が、「ただ人は真なれ」と説いたが、安倍首相の真の欠片もない言動が私には恥ずかしい。彼の選挙区(山口4区)に私の天理教分教会はある。元々、ようぼく信者は人が良く柔順な人が多く、それが信仰だとされているから、上意下達で無抵抗、議論は殆んどない。ふるさとを離れたせいか、元々の気質なのか、信仰や社会の見方が大きく変わってきた。信仰はあくまで信者個人の意志で物事を判断すべきもの。その指針は己の宗祖教祖がメドであり、決して本部信仰と同一ではない。たとえ、周りから孤立し非難されても、その指針さえぶれなければ、思わぬ縁や出会いでひとだすけ、社会助けの運に恵まれ、これこそが教祖信仰の極みである。
 私の親しい日系アメリカ人ジャーナリストが、今春続けて問題作を発表した。「漂流するトモダチ」朝日新聞出版。原発事故後、誰が何を隠し、何を守ろうとしたのか。昨年日テレNNN ドキュメンタリー賞を受賞したが、そこでもカットされ語られなかったことを被ばく兵や小泉元首相のインタビューを交えて不都合な真実を暴露したものだ。又、構築50年「満州天理村生琉里の記憶」が完成。天理教教団の裏面史731部隊との関わりが引き揚げ者の体験談、資料に加え、独自の米国保存文書と付き合わせ証明された貴重な歴史書だ。発売直後、圧力がかかり店頭から撤去されたが、アマゾンでも2ヵ月で品切れ、即重版が決定、各新聞が書評掲載。
新潟県知事選には落胆したが、この国はまだまだ捨てたものじゃない、と長州女は思う。

NO7

宗教者と非核平和
真宗大谷派僧侶 村山博昭
KIMG0068.jpg 私は、真宗大谷派の僧侶として、お参りに伺い、いろいろな人とお話をさせていただいています。人それぞれの人生があり、嬉しいこと、悲しいこと、つらいこと、感動したことなど、本当にいろいろなことがあります。その中で、先の第二次世界大戦を経験された方の多くがおっしゃるのが、「今まで生きてきた中で一番つらかったのが、戦争です。」ということです。この言葉は大変重みがあると思います。しかも日本の場合、ヒロシマ、ナガサキに原子爆弾が投下され、一瞬のうちに死傷者が20万人を超え、都市は破壊されました。戦争でも多くの人の命が失われますが、核兵器が使用されれば、犠牲者の数は比べものにならないくらい多くなります。ところが、世界で唯一の被爆国である日本の政府は、核兵器廃絶に対する後退姿勢を示して、少なからぬ国々から公然たる批判を浴びています。核不拡散条約(NPT)合意にかかわる「核兵器の全面廃絶に対する核兵器国の明確な約束」の表現をあいまいにする一方で、「核なき世界の実現に向けて様々なアプローチがあることを念頭に置く」との表現を盛り込み、核兵器禁止条約に反対する日本の立場を正当化しています。こうした日本政府の後退ぶりが、核兵器に固執する米国への配慮によることは明白です。私は、被爆国にふさわしい非核の政府の実現を強く望みます。正しくない(悪い)ことを行おうとしている個人や団体に対して、正しくない(悪い)ことをやめて正しい(良い)ことを行うように意見を表明することは、宗教者の重要な役割だと思います。これからも、核兵器廃絶を目指して活動する決意です。

以上

NO6

金光教稗島教会
副教会長 高島保
高島保.jpg 私たち金光教の教えでは、人間について、「天(あめ)が下の者はみな、神の氏子である。天が下に他人はない」と教えられ、人種、国籍、宗教、文化などの違いはあっても、人間はみな等しく、「大いなる天地」の恩恵の中でつながっている尊い存在であり、世界中の人々の命は無条件に救われるべき神の氏子であると諭されています。
 また、「人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人である」とあります。私たちは自分や他人のことを、何か一つの決まった塊として捉えてしまいがちですが、神様から見れば、他人の命も自分の命も同じく愛しい大切な命であり、自分だけの助かりではなく、関わりある人々が助かってこそ、自分も助かるのです。
 しかし、近代社会における物質文明の急激な進展は、戦争手段で最も破壊力のある核兵器を生み出し、今日もなお、地球上には核兵器が厳然として存在しています。
 人間はみな等しく、「大いなる天地」のはたらきの中にあるという、私たちの教義に照らし合わせても、暴力の頂点に君臨する核兵器は、必要悪ではなく絶対悪だと断言せざるを得ません。核兵器の廃絶は、どれほどの長い時間を要しようとも、必ず達成しなければならない人類最大の命題と心得ており、世界の諸宗教が連帯して核兵器廃絶を目指して活動するというのは、私どもの責務であると思います。
 私たち宗教者は、戦争が人の心から起こるように、平和も人の心から創り出されると確信し、「大いなる天地」の中に生かされている世界中の氏子が、一人残らず、平和で幸せな生活ができていくように、平和への祈りと実践につとめさせていただきたいです。


NO5

小倉雅昭 写真.jpg

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NO4

「“殺すなかれ”を生きる」
日本キリスト改革派千里山教会 牧師 弓矢健児
kenji7.jpg 「小さな抵抗~殺戮を拒んだ日本兵」という題の歌集が、岩波現代文庫から出版されています。この歌集の著者である渡部良三さんは、1944年学徒出陣で中国の部隊に配属されました。しかし、軍事教練の日々を送っていたある日、上等兵の命令によって、中国人捕虜を突き刺して殺す訓練を強制されます。しかし渡部さんはクリスチャンであったため、「汝殺すなかれ」という聖書の教えに従って、捕虜を突き刺すことを拒否します。その結果、渡部さんは要注意人物とされ、敗戦を迎えるまで軍隊の中で毎日、壮絶なリンチと差別を受けることになりました。
 そうした苦難の中で、渡部さんは自分が経験した軍隊の実像を約700の歌に詠んで日本に持ち帰りました。その中に、「捕虜ひとり殺せぬ奴に何ができる』胸ぐら掴むののしり激し」、「血を吐くも飲むもならざり殴られて口に溜まるを耐えて直立不動」という歌があります。渡部さんは軍隊の中で理不尽な迫害・リンチを受けながらも、信仰の良心に従って「殺すなかれ」を生きようとしたのです。
 戦争は狂気であり、あらゆる罪と不義の塊です。戦争に正義などありません。それ故、戦争を放棄し、二度と戦争をしないことを誓った日本国憲法第九条は、世界史的人類史的な意義を持っています。どのような時代になろうとも、私たちは戦争に反対し、“殺すなかれ”を生きる者でありたいと願います。




NO3


s.jpg 私たち浄土真宗の教えでは、生きとし生けるもの全てが救われなければ、仏にならないという法蔵菩薩の誓った願い(本願)があります。全ての人が救われるための仕事が私たち宗教者に与えられた使命ではないかと、つくづく考えさせられる昨今です。
 それを具現する、つまり生きとし生けるものが平和に暮らしていける世の中に、社会を変革していくことが、今日的使命と思っています。
 ここ数年の社会の動きは保守反動、歴史修正主義に傾いているように感じます。明治以来この国の歩んできた歴史を正しく見つめ直す作業を、子供から大人までもう一度学び直しましょう。仏様の教えには、正見、正思、正語、正業、他八つの徳を実践することが説かれています。まさに正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく行うことが、今ここに生きる私たちに教えられていると思います。
 今、私が平和運動に取り組み後世に伝えたいと願うのは、この一点です。お互いに願いを一つにする世界中の人たちと連帯し、頑張りましょう
大阪宗教者平和協議会 理事 佐野彰義



NO2

『共謀罪<テロ等準備罪>』は、戦時中の治安維持法に該当するのでは?
宗教者は反対だ。

大阪宗教者平和協議会副理事長・大阪宗教者九条ネット運営委員
 小谷静良

image.jpg戦時の治安維持法は、戦後に廃止された。だが72年経過する今日、建物や器物損害補償は成されずにいる。犠牲者の名誉も回復させず、個人の国家補償もしない国、日本政府。
 その政府が同等の「テロ等準備罪<共謀罪>」を提案し、実体法として企てている。もし成文法に法律化すれば、その法は「政権」者の恣意的判断による運用、決断に期する様になる。世間社会に暴力組織や、テロ集団を取り締まる法律と説明する。世間は、三人よれば文殊の知恵で最善策が出来ると言う。しかし、政権側に立てば、三人も人が集まり世の中を批判し、政権を批判、改革世直しをする。よって政権側の私的判断で決意断行となる。犠牲者が数多出る。歴史が証明する。戦前の治安維持法を見よ。共産主義、社会主義、自由主義、超国家主義、信奉者団体を取り締まるだけでなく、世間一般社会人、宗教者も取り締まる。

(例)「大本教事件」大正十年(1921)神殿破壊、幹部逮捕。理由「三千世界の世を、立替世直し」を訴える。大正デモクラシーの世論に乗る。不敬罪、新聞紙法違反。二度目「治安維持法」違反、昭和十年(1935)ダイナマイトによる神殿爆破による破却と幹部逮捕。上記例が政権者の実体。大本教の歴史的遺産は、京都の「亀岡」と「綾部」に残存しています。市民の皆様各位はご自分の「眼」で確かめて「肌」で感じて下さい。世間の「噂」より、自分の眼で確かめる必要があります。他国ドイツのマルチン・ニーメラ牧師の告白「ナチスの共産主義弾圧も黙り込み、社会主義弾圧も黙り込み、ユダヤ人狩りも黙り込み、そして教会も弾圧されてきた」。
文献:出口栄二「大本教事件」三一新書、島田裕二「日本の十大新宗教」幻冬舎新書、高橋和巳「邪宗門 上下」河出書房


NO1

 日蓮宗はビキニ環礁での水爆実験で被爆された第五福竜丸の久保山愛吉さんが犠牲になられ、日本国民の怒りが国内に沸騰し、原水爆禁止の運動が盛り上がる中で、宗教者としてじっとしておれないという気運が上がり団扇太鼓を打っての全国縦断、唱題行脚(折鶴行脚)が実施されました。
宗門機関として立正平和運動本部が設置されました。今も有志の立正平和の会が活動しています。毎年八月六日広島で、生命を選び取る断食を行っています。
 日蓮大聖人は報恩抄の中で、「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までも流るべし日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教天台にも超え龍樹が一葉にも勝れたり極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか是れ日蓮が智の賢さにはあらず時のしからしむるのみ春は花咲き、秋は果なる夏は暖かに冬は冷たし時の然らしむるにあらずや」と申しておられます。
 諸法実相抄には、鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねども涙ひまなし、この涙は世間の事にはあらず、但法華経の故なり、と申しておられます。
日蓮聖人の言葉の中に与同罪という言葉があります。人が危害を加えられているのにあった時、何もしないことは同罪という考えです。
 この世に自分一人が良ければ好しとせず、世界全体が救われなければという宗教家としての大聖人の教えがあります。日蓮大聖人の流れをくむ一人の宗教者としてありたいと思って平和運動にかかわらせて頂いています。

日蓮宗 妙徳寺住職 大阪宗教者平和協議会理事長 髙木孝裕

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