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                                                             更新 2012.11.20
原発反対とともに福島支援  
 

 民青大阪府委員会主催で8/ 10145日間、福島県南相馬市への震災ボランティアに取り組みました。震災以降3回のボランティアを経て、はじめての福島県への支援でした。脱原発・原発再稼働反対の行動が全国で広がる中、「福島県の現状を知りたい」「青年はどんな生活をしているのか」と、ボランティアに取り組むことを決めました。福島県の現地の方や科学者の方を講師に、福島県の現状や放射線の影響について学びながらボランティアに取り組み、参加は21人、その中にはウェブサイトの募集や赤旗の記事をみての参加もありました。









 現地では、非核の政府を求める大阪の会から、放射線量計を(シンチレーションサービーメイター)をお借りし、福島県での行動時に放射線量を計りながらボランティアに取り組みました。今回は、線量計の記録を報告します。

 まず、大阪から福島県へ大型バスで向かいました。福島県に入り、高速の磐梯山パーキングより線量を計り出しました。磐梯山では、0.04μSv/hでした。そして、福島西インターを下車直後、トイレ休憩を取っているときに、近くの草むらを計ると、1μSv/hを超えました。周りは、普通の民家やガソリンスタンドなど生活空間で非常に驚きました。その後、日本共産党福島県委員会に向かいました。県委員会に到着し、駐車場で休憩と談笑中、側溝の蓋の上で話していた青年に向かって福島県委員会の方が「そこは一番線量が高いですよ」と話され、計ってみると、0.6μSv/hを記録しました。その後、国道を通り南相馬市へ向かいました。道中、飯舘村を通りました。線量を計ると、1.8μSv/hからどんどん線量は上昇し、3μSv/hを超える地域もありました。(バスに乗っての計測のため正確な計測は出来ていません。)南相馬市に到着し、原町区という地域にボランティアセンターでは、0.25μSv/hを記録しました。そして、4月まで警戒地域で現在は帰宅困難区域になっている、南相馬市小高区へフィールドワークを行い、そこでの線量は、0.250.45μSv/hを記録しました。



 特徴的だったのは、原発に近く帰宅困難区域になっている地域より、人がたくさん生活をしている福島市内の方が線量が高い事でした。そして、特に印象に残り、参加者の感想が多かったのは、福島市内から南相馬市へ向かう中で見た飯舘村や南相馬市小高区の居住制限区域や帰宅困難区域の状況です。そこは、地震や津波の被害がほとんどないにも関わらず、原発事故での放射能の影響によって、立ち入る事ができなくなりゴーストタウン化していました。その様子は、この間ボランティアに取り組んだ岩手や宮城とは違う、福島県の他とは違う原発事故の状況でした。





 そして、強く思ったのは、福島市内で生活している方も、居住制限区域や帰宅困難区域の仮設で生活した方、もしくは福島県を離れた方、福島県すべての方への生活と生業の再建の保障が必要だと言うことです。

 今後も、民青同盟はボランティア報告会などに取り組みながら、福島県の状況を知らせ、復興について、原発について、学び考え、原発再稼働反対、脱原発の日本を目指す取り組みをさらに広げて行きたいと思います。