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平和博物館めぐり

fukuryumarutenji.pngこの展示館には、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料を展示しています。
 「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
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  「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、昭和42年(1967年)に廃船になったものです。
 東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。
dai5fukuryumaru.png所在地
東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
  TEL: 03-3521-8494
東京駅からJR京葉線・新木場駅下車
地下鉄 東西線・南砂町駅下車    

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siroyama.jpg被爆の校舎がそのまま資料館
 その建物は電停「松山町」から歩いて5分。

すなわち、爆心地から西方500mです。72段の石段を上がると永井坂のすぐ前に現在も小学校として子供たちの教育の場として使われている校庭にありました。
 正面を入ると「平和」と銘打った「少年とハト」の像が私を迎えてくれます。
その建物はすぐ右側に建っていました。

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建物の入り口にはいると、被爆直後の城山国民学校の写真・説明文が並んでいます。
当時状況を絵コンテが表しています。復興に尽力された当時の荒川秀男教頭先生の作。それには、「十一月十四日授業再開」とあります。

siroyama01.jpg二階に上がる階段には、被爆時の校舎の写真などが展示されています。
なぜ、この校舎が倒壊しなかったのか?疑問に思っていたところ、当資料館におられる案内ガイドさんが、「よく窓の構造を見てください」とアドバイスをしていただきました。
丸窓で堅固な構造になっていることが一目瞭然でした。
 また、凄まじい熱線の痕が残っていました。
二階に上がると、その片隅には「修学旅行コーナー」があり、大阪のいくつかの学校の名前が記載された資料が展示されていました。
狭い空間の中に大阪の学校の平和教育を実践されている姿を想起できました。
 取材している時に、世界大会の「動く分科会 原爆像巡り」の一行と遭遇しました。熱心にメモを取りながら「見学されていました。
皆さんも一度、見学しては如何でしょうか。

所在地
長崎市城山町23番1号

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dai5fukuryumaru.jpgビキニ
事件の原点を訪ねて
「ビキニデー」集会が開催される会場に隣接するのが「焼津市歴史民俗資料館」です。
その展示室の一つのコーナーに「第五福竜丸コーナー」があります。
資料館の一番奥の部屋にそのコーナーが設けてあります。
故久保山愛吉氏の家族への手紙、当時の写真や行政文書、新聞記事などを展示しています。一度見学してみてください。

お問い合わせ

所属課室:焼津市教育委員会歴史民俗資料館
静岡県焼津市三ケ名1550
入館料 無料

電話番号:054-629-6847
ファクス番号:054-629-6848
Email:rekimin@city.yaizu.lg.jp

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mk_01.jpg 本川小学校は、1945年8月6日の原子爆弾投下の際、爆心地にもっとも近い学校として大きな被害をうけました。校舎は外部を残して全焼、壊滅しました。校長先生ほか10名の教職員と400名の子どもたちの尊い生命が一瞬のうちに奪われました。
この「平和資料館」となっている建物は、1928年に広島で初めて建てられた鉄筋三階建ての校舎の一部です。原爆の被害を受けた状態をそのまま残し被爆の「証」として保存することになりました。
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mk_03.jpg「展示室」には、被害のようすを写した写真をはじめ、被爆した遺物などを展示しています。
資料の一つひとつには、多くの人々の悲しみや願いが秘められています。

見学にいった8月5日には、平和資料館の横の体育館で二一世紀に生きる子供たちが平和祈念の講演会を開くために登校していました。
場所は広島の平和公園、原爆ドームから相生橋を渡ってすぐにみえてきます。

お問い合わせ
広島市中区本川町5-39
入場無料です。

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DSC054251.jpg 1945年(昭和20)第二次世界大戦の終結にともない、当時海外に残された日本人は660万人以上ともいわれています。これらの方々がすみやかに帰国できるようにするのが当時の重要な戦後処理の施策の一つでした。これを引き揚げといいます。 舞鶴港は、政府が指定した引揚港の一つ(博多・佐世保・田辺・仙崎など)として、1945年10月7日引揚第一船の入港から1958年9月7日の最終船まで、実に13年間の長きにわたり、その使命を果たしてきました。とくに1950年以降は唯一の引揚港となりました。
 舞鶴港には、主として旧ソ連邦(現ロシア)や中国などの大陸からの引揚者を迎え入れました。13年間で66万4531人、1万6269柱の遺骨を受け入れました。
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 記念館の正面入り口には、“全世界の人々と相携え…不断の努力を傾注しなければならない”と宣言した「平和の誓い」モニュメントが設置されています。館内は1階1フロアで1時間程度で見学できます。最初のコーナーでは、引き揚げの歩みと激動の歴史が当時の新聞記事や写真で紹介されています。次に、シベリア収容所の厳しい抑留生活を紹介するコーナーから“岸壁の母で有名になった引き揚げの様子、肉親の再会、帰らぬわが子・夫を待つ人びとを紹介します。国家が起こした戦争に個人が犠牲になる視点での戦争告発といえます。
そして、注目したのは「中国引揚漫画家の会」という団体の存在です。著名な漫画家が“ボクの満州”と題して漫画が展示されています。横山孝雄・ちばてつや・赤塚不二夫など著名な漫画家が引揚者として満州国時代の生活を描いています。

コーナーの最後が中国「葫藘島(ロコ)からの引揚」展示です。1946~48年のあいだ集中して中国の葫?島からの引揚者が多く、その展示となっています。  
実はレポーターの故義父が1946年、ここから帰国したとの話、満州から逃げ帰ってくる苦労話を聞いたことがあり、感慨もひとしおで、写真などに食い入ってみてしまいました。

DSC05465.jpg舞鶴引揚記念館には、JR小浜線「東舞鶴」駅路線バス約20分 入館料400円
右手の海岸に引揚船が着岸
所在地 
 〒 625-0133 京都府舞鶴市字平 引揚記念公園内
 TEL 0773-68-0836
 FAX 0773-68-0370
 MAIL qikh28102@hera.eonet.ne.jp
 開館時間/ AM 9:00~PM 5:30(入館はPM 5:00)

 休館日 / 12月29日~翌年1月3日
 入館料 / 大人 300円(20人以上の団体 200円)
   学生(小学-大学) 150円(20人以上の団体 100円)
 ■共通券 一般個人 400円・学生個人 200円(引揚記念館・赤れんが博物館に入館いただけます。)
 ■入館料割引 障害者割引あり(5割減額)

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sakamoto_kinen.jpg全国に坂本龍馬に関する記念館(歴史観)は、九か所程度あります。北は北海道の「北海道坂本龍馬記念館」から九州・長崎の「亀山社中記念館」などです。そのなかでも生誕地・高知の「県立坂本龍馬記念館」は、坂本の真筆などを展示した“龍馬の殿堂”といわれる一見の価値ある展示館です。平和博物館と銘を打っていませんが、見方によって、平和を考える貴重な公的な記念館です。
正面入り口に「自由・平等・平和 世界を!」の標語が迎えてくれます。地上二階・地下二階の四階建ての近代的な建物です。

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地下二階の常設展示室には、龍馬が暗殺される二日前の手紙(真筆)が展示されています。ご存知の方も多いかと思いますが、討幕のために薩長連合を成立させた立役者であった坂本は、大政奉還(江戸幕府が京都の朝廷に政権を返還)を成功させましたが、武力討幕を主張する勢力とはその後、平和的に新政府を船出させていこうと考える坂本とは対立していきます。

近江屋で暗殺された十一月十五日からわずか三週間後に王政復古のクーデターが起こり、年明け早々戊辰戦争という内戦が開始されます。坂本が心配していた事態に突入していくことになります。

 館内は、近江屋を復元したコーナーがあったり、屋上からは太平洋を一望できるビュースポットです。

panfu1.jpg入館案内
〒781-0262 高知県高知市浦戸城山830番地
TEL 088-841-0001 FAX 088-841-0015
高知県交通バス『桂浜』行き乗車「龍馬記念館前」で下車、徒歩2分
駐車場のご利用は無料です 大型バス4台・普通車50台

開館時間
午前9時より午後5時まで
休館日
年中無休(年末年始も通常通り開館しております)

大人(18才以上) 500円
団体(20人以上) 400円
高校生以下 無料
身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・戦傷病者手帳・
被爆者健康手帳所持者とその介護者1名 無料
高知県・高知市長寿者手帳所持者 無料

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sendai_31.png1981年、仙台市では空襲で被害を受けてから復興を遂げるまでの資料や記録を展示し、これまでの歩みを記念することを目的に「仙台市戦災復興記念館」を開設しました。
 仙台市の空襲は、1945年7月10日です。大阪では、ちょうど堺大空襲の日に当たります。仙台市では二時間余リの間に、市の中心部への焼夷弾爆撃により、死亡者1399名(身元不明者はうち335名)、被災者57321名です。
sendai_21.png仙台市は軍都であり、明治以来第二師団の本拠地として、戦争遂行にあたって大きな役割を担っていたことが展示されています。残念ながらカメラなどの記録された資料はあまあまり多くありませんが、残っている写具や体験談から戦争、空襲の恐ろしさを伝えています。
 名称からもわかるように、戦後の復興のあしどりを展示されているのがこの記念館の特徴です。1946年、空襲で被害をうけた市の中心部のうち約300haについて、将来の発展を見通して東北における行政、経済、文化の中心にふさわしい新しい都市の建設を目指した戦災復興計画が作成されました。それから15年の年月をかけ、計画された工事か完成しました。幅広い道路や街路樹は「杜の都」の言葉にふさわしいものとなっています。
 この三月、東日本大震災で大変な被害をうけた仙台市をはじめ宮城県の人びとがいま、また復興にむけて奮闘されている姿に接してこの記念館のはたす役割が大きいと感じました。
sendai_11.png入り口の書架に「ピースおおさか」などの他の平和博物館のパンフレットが展示されていました。

所在地
〒980-0804
仙台市青葉区大町二丁目12番1号
TEL(022)263ー6931
FAX(022)262ー5465
当館に駐車場はございませんのでバス・地下鉄をご利用ください。
●JR
「仙台駅」下車:西口より徒歩20分
西口よりタクシー5分(初乗り運賃区間)
西口バスプール15番のりば
●市営バス
「東北公済病院・戦災復興記念館前」下車:徒歩2分
「電力ビル前」下車:徒歩8分
●市営地下鉄
南北線「仙台駅」下車:徒歩20分
南北線「広瀬通駅」下車:西4番出口から徒歩10分

入室時間
午前9時~午後4時30分(入場は午後4時まで)
7月~10月 午前9時~午後6時30分まで
(入場は午後6時まで)

入室料金
個人(小・中学生)50円(一般)100円
団体※(小・中学生)40円(一般)80円
※20名以上の場合の1人あたりの料金

展示品
写真(パネル) 411点
展示品(遺品等) 171点
絵画・スケッチ 10点
その他(ジオラマ、模型、マネキン等) 13点
計605点(平成17年4月1日現在)

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img1932.jpg訪問した時は、折悪しく豪雨に見舞われ、会館周辺にある展示物まで見ることができなかった。遠くより軍用機が屋外展示してあったり、これは国威発揚の記念館か、と思って入館。大人500円、午前9時より午後5時までの開館である。
 会館は一階建で入口ロビーにはTVあり、ビデオが上映されていた。その奥の部屋が特攻隊員の“英霊コーナー”として隊員の写真、遺書が展示され、ところどころにモニターからビデオが流されている。その部屋の中央部に「三式戦闘機(飛燕)」が展示されている。さらにその奥の部屋には「四式戦闘機(疾風)」が展示され、「戦史資料展示室」へとつながる。遺書をゆっくり読んでいると、館内放送。会館作成の映画が放映されるとのこと。どんな主張を訴えるのか戦争賛美か?と興味津々で視聴覚室にはいる。30分の映画。
その主張は、特攻隊員の心情を中心に描かれ、彼らが残した遺書を紹介。なんと遺書の大半が母親に対する慈愛、感謝であることを指摘。現代の諸課題のなかにある家族愛の大切さ、それが平和の原点であることを訴える内容のものであった。ちょっとほっとするかわりに、なぜ父親は出てこないのか、と疑問をなげかける。
そういえば、平和運動といえば、母親運動か、なんとなく納得。
 視聴覚室をあとにすると、また目の前に「震洋艇展示」・「隼戦闘機展示」さらに奥に「零式戦闘機展示」が連続。かつてプラモデルなどで見たことのある戦闘機が目の前に繰り広げられている。


img1911.jpg この知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期(会館の説明文には戦時下の大東亜戦争と記載)の沖縄戦で、人類史上類をない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録など貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するもの、として設置された。
知覧には、昭和16年に開校した陸軍飛行学校知覧分教所があり、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練をしていたところであった。戦況が悪化した昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となった。この会館の場所は、その出撃基地の跡地につくられたものである。
 沖縄戦で特攻戦死した若者1036名であった。その沖縄は今も米軍に占拠され、オスプレイの配備など強行されようとしている。“特攻隊員”思いは未だ顧みられず、である。
(事務局北野)

所在地
〒897-0302鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地 
電話番号:0993-83-2525

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シンガポール・「THE BATTLE BOX」、「シロソ砦」

the_battle_box3.jpg シンガポールといえば、年間5000万人の観光客が訪れる一大観光地である。その中で平和戦争博物館に訪問する人は、とくに日本人観光客はほとんどいない。
 シンガポールには、市内中心部のフォート・カニング・パーク内にある「THE BATTLE BOX」とセントーサ島内にある「シロソ砦」、そしてチャンギ空港近くにある「チャンギ刑務所博物館」の三か所にそれがある。今回訪問したのは、前記二か所である。展示内容は、1941年12月8日から始まったアジア・太平洋戦争から1942年2月15日、英国軍が日本軍に降伏した時を頂点に日本の敗戦までである。
sisorotoride1.jpg まずは、英国軍が降伏を決断した最後の司令部、「THE BATTLE BOX」を紹介する。バトル・ボックスは、フォート・カニング・パークの小高い丘の地下九メートルに設置された掩蔽壕(防空壕)である。それは第二次世界大戦中、英国のマレー半島を支配する総司令部があったところで、1941年2月15日、パーシバル将軍が日本軍に降伏するという重大な決断をした場所である。その中には、歴史的な決断をする数時間を体験するような地下会議(精巧な蝋人形)などが展示されており、日本語も含めて数か国の言語で説明紹介されている。このバトル・ボックスは、現在、唯一の戦争博物館として修復されており、シンガポールの中心部にあり、交通の便もよく一度訪れてみる価値がある。(最寄駅はMRTシティホーロ駅徒歩10分)

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image1.jpg次に、セントーサ島にある、「シロソ砦」を紹介する。
セントーサ島はよく知られているレジャーランドでユニバーサル・シンポールをはじめ、マリンスポーツなど多くの観光客が一日中、楽しめるようになっている。その島の最西端にあるのが「シソロ砦」で、その周辺には大砲が展示されてあったり、戦争中の砲台の遺跡がある。その中心部に「シロソ砦博物館」があり、その中の展示にアジアの人々の認識をうかがわせるものがあった。それは、第二次世界大戦の終結のコーナーである。写真をみていただければ、一目瞭然である。広島・長崎への原爆投下が終戦をもたらせたものとして、大きく展示されている。その悲惨さは、一部、広島の被災を写し出した有名な松重美人氏の写真でかろうじてわかるが、原爆投下の批判は一切表現されていなかった。
ireihi2.jpg 日本原水協の何年にもわたる国際遊説団の活動の重要性をあらためて感じた場面であった。展示には、日本語による解説もあるが、日本人は誰ひとりみることがなかった。
 最後に、博物館ではないが、市内のメインストリートにある「戦争記念公園」にある「日本占領時期死難人民記念碑」を紹介する。写真をみてもわかるように、どこからでも見れる高さの慰霊碑である。
 日本軍が1941年12月以降、翌年の2月の英国軍が降伏し、日本軍による占領がはじまって、中国人を中心に約2万人余の人々が虐殺された。この歴史的事件については、今年の大学入試センター試験の「日本史」で出題されるほど、著名なことである。その犠牲者を慰めるために、シンガポール政府と日本政府によって、1967年に建立された慰霊塔である。4本の柱はシンガポールを支える中国人、マレー人、インド人、ユーラシアンを表している。一大観光地にある戦争博物館を訪れて改めて平和の尊さを噛み締めることとなった。(MRTシティホーロ駅・徒歩3分)

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matumotoseicyou1.jpg 「松本清張記念館」がなぜ?平和博物館とお思いの方もおられるであろう。記念館の展示は、「展示室1 松本清張の世界 多岐にわたる創作活動の全貌紹介」と「展示室2 思索と創作の城」が常設展示である。筆者が注目したのは、「展示室1」の「推理劇場」である。現代史ノンフィクションの代表作「日本の黒い霧」を題材に、貴重な資料フィルムや写真などで構成されたオリジナルドキュメンタリー映像「日本の黒い霧―遥かな照射」である。80分の長時間の鑑賞であるが、戦後史の謎の解明にむけた松本清張氏の情熱が伝わってくるものである。松本清張ファンならずとも是非とも一見の価値がある映像である。その構成は「①日本の敗戦と松本清張の戦後」、②「帝銀事件」、③「下山事件」、④「松川事件」、⑤「黒地の絵」である。
 とくにここで特記したいのは、⑤「黒地の絵」である。松本清張氏が住んでいた小倉での米軍占領下で発生した黒人兵集団脱走を扱った小説「黒地の絵」は、朝鮮戦争さなか、基地小倉で発生した事件を描いた作品である。映像は被害者の女性、当時の警察官であった

nihon_kuroikiri1.jpg証人の証言など生々しい実態を紹介する。現在の沖縄で起こっている諸問題が、基地小倉の地で起こっていた事実、独立をしたとはいえ米軍の支配下にあるなかで、事件報道がほとんどなされない(松本清張氏は当時朝日新聞西部本社広告部の臨時雇い)状況であったことなどを紹介する。鑑賞して感じたことは、基地があるかぎり、二十一世紀になっている現在も50年代とかわらない日本の姿を垣間見たというものである。

橋下徹日本維新の会代表は、朝鮮戦争時にも「慰安婦制度」があったことを発言し、女性団体をはじめ多くの団体から抗議の声があがっていたのは記憶に新しい。諸悪の根源の基地撤去を求めず、女性の尊厳を冒涜するような人物に政治を語る資格はないと、改めて感じた。(K・M)

場所:JR小倉駅 徒歩20分小倉城内
〒803-0813 福岡県北九州市小倉北区城内2番3号 TEL:093-582-2761 FAX:093-562-2303
開館時間
午前9:30~午後6:00(入館は午後5:30まで)
■休館日
年末(12月29日~12月31日)
開館時間 午前9:30~午後6:00 (入館は午後5:30まで)
休館日 年末 (12月29日~12月31日)
観覧料 一般 500円 (団体・年長者利用証:400円)
中・高生 300円 (団体:240円)
小学生 200円 (団体:160円)
※団体料金となるのは、30人以上の団体です。
※福岡市シルバー手帳および下関市健康手帳(65歳以上)をお持ちの方も団体料金になります。
※療育手帳、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方は観覧料無料です。付添人の方(障害の程度が1級から4級までの方に付き添う場合に限る。1名まで)も無料になります。
※小倉城・小倉城庭園との3施設共通券もございます。(一般700円 中高生400円 小学生250円)
※松本清張記念館、北九州市立文学館の両館に入館する方には、それぞれが2割引となる共通割引チケットを販売しています。

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東京・横綱町公園江戸東京博物館(両国周辺平和散策)

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 JR両国駅前にユニークな建物が目に入る。東京都江戸東京博物館である。江戸東京の歴史と文化について、復元模型などを通して学べる博物館である。 筆者が訪問した時も、複数の小学校の見学者たちと一緒見てまわった。5階の常設展示室の「東京ゾーン」の一角にそれがある。「空襲と都民」の展示コーナーである。昭和20年3月の東京大空襲の展示である。ありがたいことに“写真撮影”が許可されていることである。ここでの展示は、東京を襲った戦禍の悲劇を中心に構成されていて、展示物を含めて深みに欠ける感は否めない。061.jpg


image11.jpg 博物館をあとにして徒歩五分程度のところに東京都横綱町公園がある。この公園は、「被服廠跡」とか「東京都慰霊堂」とか「東京都復興記念館」とも呼ばれている。そのいずれもこの公園の歴史を物語っている。
image31.jpg 大正11年、東京市(まだ都政を布いていない)は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていた。その最中の12年9月1日、関東大震災が起こった。周辺の人びとは造成中のこの公園に避難をしてきたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17mの強風に燃え広がり、多数の焼死者を出す悲劇が起こった。その結果、遭難者の霊を供養し、東京の復興第事業を記念するために公園内に慰霊堂と復興記念館が建てられた。その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の霊も安置することになり、現在にいった。
image21.jpg 東京都慰霊堂には、関東大震災による遭難死者約5万8千人と東京大空襲(3月10日)の殉難者を含めて約16万3千人の遺骨が納められている。
さらに公園の「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」(下)の横には、「朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。関東大震災の混乱のなか、政府のデマ情報に恐怖感をおぼえた民衆による朝鮮人・中国人への虐殺による犠牲

image5.jpgとなった人々への慰霊碑である。
復興記念館は入場料は無料で昭和初期のレトロな建築物である。館内には震災及び戦災の記念遺品や当時の状況を伝える絵画、写真、図表などが展示されている。屋外の周辺の庭には、「震災祈念屋外ギャラリー」があり、震災での熱地獄を物語る遺物が展示されていた。
 なお、この公園では毎年3月10日と9月1日に慰霊法要が行われている
横綱町公園

公益財団法人 東京都慰霊協会 横網町公園管理所
〒130 -0015 東京都墨田区横網2丁目3番25号
電話:03 -3622-1208


江戸東京博物館
住所
〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1
アクセス
JR総武線 両国駅西口下車 徒歩3分
都営地下鉄大江戸線 両国駅(江戸東京博物館前) A4出口 徒歩1分
都バス錦27・両28・門33・墨38系統、
 墨田区内循環バス
 「すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん(南部ルート)」  
 「都営両国駅前(江戸東京博物館前)」下車、徒歩3分
電話番号
03-3626-9974 (代表 ※午前9時~午後5時30分)
開館時間
午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午前9時30分~午後7時30分) 
入館は午後5時まで。(土曜日は午後7時まで)
※入館は閉館の30分前まで

休館日
【2月】2月3日・10日・17日・24日
【3月】3月3日・10日・17日・24日 ・31日 

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長崎県防空本部跡「立山防空壕」-長崎市被爆建造物等―

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 長崎に原爆投下された直後(8月9日)、長崎県の県や軍はどういう認識であったかを示す貴重な遺跡が、この「立山防空壕」です。永野長崎県知事は当初、防空総本部への情報伝達の内容には「ピカッと光って大きな爆音が聞こえ、広島の新型爆弾らしいものが落ちたが、管内の被害は軽微、人畜に死傷はなく、全壊家屋もない。硝子窓はみな割れ、半壊家屋は若干あったが、概ね小破損の程度だ」との報告であった。これは地元の警察からの電話情報にもとづくものであった。すぐに報告できる警察署からの第一報が原因であった。壊滅していた地域からの電話連絡などできるはずもなく、その後、徐々に被害の実相が伝わってきたようである。現地の「立山壕」にいって、はじめてその立地条件からして、このような誤った情報が伝達されたことが判明した。この「立山壕」は、長崎県の防空本部であり、県の防空施策の中心的役割を担うところであった。空襲警報が発令されると、県知事ら幹部要員が集まり、警備や救援・救護等各種応急対応の指揮、連絡手配に当っていたのである。壕内には、知事室、警察部長室、防空監視隊本部などが配置されていた。
 平成17年から被爆の実相や平和の大切さを学ぶために長崎市が整備し、見学できるようになった。

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長崎市平和・原爆総合ページ
http://nagasakipeace.jp/japanese.html
長崎の訴え
 1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎に投下された一発の原子爆弾により、街は壊滅的な被害を受け、多くの尊い人命が奪われました。私たち長崎市民は、この苦難を乗り越え、美しい故郷を取り戻すために努力しました。そして被爆地の使命として、核兵器による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と恒久平和の実現を世界に訴え続けていきます。

長崎原爆資料館
〒852-8117 長崎市平野町7番8号
TEL 095-844-1231
FAX 095-846-5170

立山防空壕
長崎市被爆建造物等 長崎県防空本部跡
http://nagasakipeace.jp/japanese/abm/insti/tateyama.html

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広島平和記念資料館

 核兵器廃絶運動の原点ともいうべき被爆地・広島の“原爆資料館”は、是非一度は見学してほしい平和博物館です。現在は「東館」が改築中で閉鎖されており、正館のみの展示となっています。この八月末までの期間限定で六月広島を訪問したオバマ米大統領のメッセージと折り鶴の展示がされていました。原水爆禁止世界大会中の合間をぬって見学してきた報告をします。
見学者は例年以上に海外からの見学者が多く、しっかりと見学しています。展示は「八月六日」の日を再現したパノラマ、被害の実相を「熱線による被害」「爆風による被害」「放射線による被害」「高熱火災による被害」、そして「救援救護活動」となっており、最後に「市民が描いた原爆の絵」「被爆者は語る」最後に「平和へのメッセージ」「となっています。
 この最後のコーナーにオバマ米大統領からのメッセージと折り鶴がガラスケースの中におさまっています。八月末までしか展示していないとのこと、このニュースをお届けした日には目に見ることができないかと思います。オバマ米大統領の広島訪問、その演説内容には議論があるところかと思いますが、広島市長や被爆者が訪問を呼びかけていたこと、原爆投下国の現職大統領がそれに答えて訪問した事実として貴重な記録として当会ニュー
スに掲載します。

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広島平和記念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

【東館の改修工事に伴う諸変更について(ご案内)】

改修工事のため、平成29年(2017年)2月(予定)まで、東館の常設展示室等を閉鎖しています。ご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いします。

東館の工事期間中は、本館のみをご覧いただくことになりますが、入口は東館のままで変更はありません。また、東館の展示内容を要約したパネルを、本館ギャラリーで展示しています。

ヒロシマ ピース ボランティアによる館内の移動解説の予約は、当分の間休止します。館内の定点解説及び平和記念公園の移動解説はこれまでどおり実施します。

開館時間■
○閉館時刻の30分前までにご入館ください。
 3月~7月 8:30~18:00
 8月     8:30~19:00
  (8月5日、6日は20:00閉館)
 9月~11月 8:30~18:00
 12月~2月 8:30~17:00

休館日■
12月30日及び31日

お問い合わせ先■
〒730-0811 広島市中区中島町1番2号
広島平和記念資料館
TEL(082)241-4004 FAX(082)542-7941
E-mail hpcf@pcf.city.hiroshima.jp

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