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戦争の傷あと銘板めぐり第2シリーズ 

ウォーク参加募集案内
戦跡ウォーク第2回

『大阪 戦争モノ語り~街かどの「戦跡」をたずねて』の著者
森田敏彦先生のガイドで訪れる
〝国民を戦争に駆り立てる、戦争に抗う〟

 2010年から、府内12カ所の地域にある大阪府と各自治体が戦後50周年を記念して1995年に建てた「戦争の傷あと銘板」を中心に巡ってきましたが、その第2シリーズとして今年春より「戦跡ウォーク」を行っています。今回はその第2回目で、戦争を推進するための軍事施設や国民を戦争に駆り立てた記念物と、戦争反対を貫いた川柳作家鶴彬の碑を訪ねます。憲法9条をこわして日本を戦争国家にする危険がかつてなく強まっている今日の状況を考える糧にしたいと思います。日時・集合場所は以下の通りです。尚、小雨は実施します。

日 時: 12月2日(土)  午後1時半集合  4時ごろまで
集合場所: 大阪歴史博物館南側広場集合(最寄駅は地下鉄谷町四丁目)  解散は大阪城公園噴水前

コ ー ス: 第8連隊跡碑⇒第37連隊跡碑⇒大村益次郎顕彰碑⇒教育塔⇒大阪偕行社(明治紀年標)跡
⇒大阪城京橋口⇒中国製の狛犬⇒教育勅語碑⇒第4師団司令部跡⇒鶴彬の川柳碑

参 加 費: 無料。(交通費は各自でお願いします)

1945年6月大空襲の跡をあるく戦跡ウォーク第1回

ウォーク参加募集案内
『大阪 戦争モノ語り~街かどの「戦跡」をたずねて』の著者
森田敏彦先生のガイドで訪れる
1945年6月大空襲の跡をあるく戦跡ウォーク第1回

コースは
淡路駅→西淡路の高射砲陣地跡→日之出町共同墓地の戦死者戦災者慰霊碑
→崇禅寺の戦災犠牲者慰霊塔→柴島浄水場壁の弾痕→法華寺の空襲のあとを残す墓石群
→善教寺の戦災犠牲者慰霊塔→長柄橋の観音像と弾痕が残るコンクリート片

6月17日に実施した戦跡ウォーク第1回の感想記事です

 「戦争」と聞いて私たち10代では、恐らく今の日本とは関係なかったり、過去のことだと考える人の方が多数派だと思います。しかし、我々が暮らす町も過去に戦争を体験し、傷跡は今日に至るまで残っているのです。今回参加した戦跡ウォークでは、 そんな傷跡を何箇所か巡ることができました。「西淡路高射砲陣地」は、一見円盤のような異様な雰囲気の建造物ですが、戦時中は上部に高射砲が取り付けられていたそうです。今の景色では考えられません。柴島浄水場の弾痕は、ただの上部が壊れたコンクリートに見えますが、空襲によって破壊されたらしいのです。戦後70年以上経ちましたが、まだ「証拠」が誰にも見える所に残っているのには大きな意味があると思いました。これらの戦跡は、説明がなければ何がどうなってるのかさっぱり分かりません。説明があってこそ初めて理解できます。つまり、残っている戦跡をどうやって伝えていくのかが大切なのだと感じました。今回訪れたのは東淀川区でしたが、他の区や地域にも大なり小なり戦跡は残っているのではないでしょうか。戦争を知る世代が少なくなっていく中、直接の体験はしていなくとも、自分の目で確かめる機会を増やさなければなりません。そうすれば、「戦争」を見る目も変わるかも知れないのです。折角残っているんだから、最大限教育などに利用して貰いたいと思う限りです。

大阪平和委員会青年学生部・高校生  M

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ちょっと見る目が変わったかな?

6月17日、「非核の会」主催の大阪大空襲の跡を歩く第1回「戦跡ウォーク」に参加させていただいた。特段の関心があった訳でもないけれどたまたま私の住む東淀川地域が対象だったこともあり気楽な思いで足を運んだ。
淡路から天六・長柄橋へとおよそ5時間の戦跡めぐりだった。
訪ね歩いたのはアジア・太平洋戦争における犠牲者の慰霊碑や墓地、戦争の傷跡を残す身近にある戦跡だった。大阪では3月の大空襲で殲滅できなかった都市周辺が6月に入り大量焼夷弾攻撃で狙い内にされたという。至る所で惨状が繰り広げられた。

 ○東淀川地域は6月、3回にわたり激しい攻撃に晒された。7日にはB29(1機4000発近くの焼夷弾を抱える)が409機、最強の戦闘機P51が138機で襲い掛かった。近隣区域も巻き込んで焼き尽くし、さらに低空飛行でじゅうたん爆撃を行った。この空襲で東淀川区では13000戸が全焼、約26000人が被災したとのこと。
私のウオーキングコースにしている淀川の両岸は大火にみまわれ、長柄橋では避難する市民に爆弾と機銃掃射が容赦なく浴びせられ400名の死者がでた。
お隣の旭区・しろきた公園でも機銃掃射で1000名近くが死亡したと記されている。
「川筋にたくさんの死体」「焼けて体があついので川辺にみんないった」そこへ機銃掃射が襲った。「崇禅寺の駅から寺までは死体が累々」「空襲のあと長柄橋の上から北の方を見ると尼崎の神崎橋までまる見え。どこの家もないし、くすぼってる」。資料は逃げ場を失った人々の惨状を語っていた。
爆弾で一瞬に奪われた命、苦しみながら息絶えた命、戦禍から逃げまどう命。
  日の出町、崇禅寺、柴島など周辺でも多くの戦死者をだした。私たちはそれらの地域にある共同墓地や慰霊碑などを訪ねた。碑に刻まれたそれぞれの名前には一つ一つの命があったはず。資料に記された体験者の証言が甦る。

○この日最初に訪れた戦跡は、阪急淡路駅からほど近いところにある公園や住宅地の片隅にある高射砲陣地跡だった。こんな身近に戦争の遺物があることにビックリ。今は草蒸して朽ちた砲台外壁がポツンと歴史に取り残されていた。
当時(20年6月頃)はこの周辺に高射砲台6基、兵員150から160人が配置されていたという。現在は2か所が残存。近くに二つ目が在った。ここは現在倉庫として使用されていた。持ち主のご厚意で中を見学させていただく。一見道路に沿った静かな住宅の一部にしか見えないが、薄暗い倉庫に足を踏み入れると異様な構造物に威圧された。黒ずんだ鉄筋コンクリートの大きな円柱や、梁、床版などむき出しの砲台が当時の形をとどめて目の前に在る。タイムスリップをした感じだった。戦後70年余の今でもここが敵を迎え撃つ激しい陣地であったことを充分に伝えていた。こんな町角に貴重な戦争の生き証人が残っている!
「自分たちの代でもう保存はムリかもしれない」と所有者。なんとか保存活動ができないものかとつくづく思う。
 戦時には基地や軍需工場をはじめ公共施設も狙われる。柴島浄水場も標的となり水道も破壊された。浄水場の角には弾痕壁が残されていた。
この時の焼夷弾で柴島駅近くの法華寺は焼け落ちたとのこと。墓地に足を踏み入れ圧倒された。当時の大小墓石の全てが焼け焦げ、多くが欠け落ちヒビが入っている。茶褐色に焦げつき乾いた墓石が静かに並んでいる様は、戦火がまだつい最近の出来事として迫ってくるようだった。墓まで焼き尽くす戦争があった。
夕方、最後のコース、長柄橋戦跡を終わる頃にはガイドの森田先生を除き皆ヘトヘト。それでも良い経験をさせていただいた1日となった。
私自身はこれから何気なく歩いていた淀川河川敷で悲惨な歴史に思いを馳せるだろうし、街角のちょっとした碑や塔も少し気になりだしたから。
貴重な戦跡の保存や戦争を語り継ぐ大切さを知らされた取組みでした。

東淀川区 N

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